2025年04月23日

墓参り!

横浜から親父の従兄弟が線香をあげに宮古島を訪れている。
昨日、ホテルから実家まで案内した。

当方は大学在学中の40年前に会って以来なんだけれど、実は8年前にも親父の存命中に来ているのだと。
その頃は、当方絶賛勘当中で実家への出入りを禁止されていたのだった。

当方にも維持があるので、親父の通夜まで焼く10年間実家に足を踏み入れてなかった。
親は勿論、兄弟とも絶縁状態で、その状況は今も変わらないけれど。

仏壇に線香を手向けて貰って、墓参りに移動した。
当方が進学先も決まらないまま東京でぶらついているときに、当方を拾ってくれたのが親父の従兄弟の父親で、当方には伯父さんにならないけれど、この人が居なかったら現在の自分は居ない。

親父の墓参りを経て、近い距離に親父の本家の墓があるので、そこへも案内した。
そこには親父の母親も眠っているのだけれど、この母親は横浜の伯父さんの姉にあたる。

前に書いたけれど、佐良浜の池間の娘は島尻の沖縄の嫁になった。という当方の祖母だ。
当方の産まれる前の戦時中に亡くなっていて、親父の遺言で島尻のぱーんとぅ会館の敷地内に戦没者慰霊碑を造り、百名余の戦没者を石碑に刻んでいる。

親父の従兄弟は前回宮古島を訪れるに際して、これらの事実を知らないまま8年を経ている。
親父の従兄弟の姉ちゃんは夫婦で宮古島を訪れていて、叔母さんの墓参りもできたと喜んでくれた。

横浜の伯父さんは実は戦後に密航して、内地に渡っていてその経緯を今回知ることができた。
実は親戚に陸軍中野学校所属の軍人が居て、日本中を隠れまわっていたらしい。

戦争とは実に壮絶で残酷な仕打ちを人間に背負わす。
陸軍中野学校は、森村誠一のドキュメンタリ小説「悪魔の飽食」で中身を知った。

その中に祖母方とは言え、所属している宮古の人が居たことは衝撃だった。
齢65にして初めて知った。

遠く宮古島から鎌倉に眠る伯父さん夫妻の冥福を祈る。
できることなら生きているうちに新潟の同級生と伯父さんの墓参りがしたい。



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Posted by 福原組設計事務所 at 22:27│Comments(1)宮古島
この記事へのコメント
横浜の伯父さん 初めて東京へ出てきた時のお世話に
なった方 初めて東京へ出てきた時は東西さえ分からず
電車の乗り方地下鉄の乗り方は私も叔父さんに教えても
らった もう5年ほど前に他界してしまった ほかにも
親戚の方が居て3軒か4軒叔父さんに連れてもらい親戚
巡りをした記憶が有る 子供時代の親戚大方は亡くなっ
てしまっているし その葬式がいつ行われたのかも解ら
ず血縁者はどんどん減ってしまうのは寂しいですね
従妹たちも子供時代しか有っていないのも沢山いるけれ
どこの時代では何所にいるのかも分からないでも実家の
周りには数人いるので実家に帰れば会っている 親父も
お袋も9人兄弟だったので18家族の血縁者が居るけれど
叔父さんおばさんで存命は2人か3人になってしまった
挨拶に行かねばならないと思いつつ日々が過ぎていきま
すね
Posted by ふくう at 2025年04月26日 07:44
 
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